ループ&ループ

 

 

【東京のこと】

東京に住んでいた。

ホームシックになんてならないけれど、東京にいる夢をよく見る。

東京といっても、夢の中ではどこか特定の場所にいるわけではない。新宿や渋谷の光景があるわけではない。そこはある意味では密室で記号的な東京だ。それでも周りには友達や知り合いがいて、ここは東京だと分かる。久しぶりに東京に来て心休まるのを感じる。

でも、明日も仕事だから早くこちらに帰ってこなくちゃいけないし、東京からは飛行機で10時間くらいかかるから早くここを出ないと、と夢の中で僕は焦りだす。そして、普段会わない友達になんて会っちゃうもんだから名残り惜しくて、だんだんと憂鬱になってくる。

 

空気清浄機のまわる音と、家の近くで野菜を売り歩くおじさんの声で目が覚める。カーテンの隙間からは申し訳程度の弱い光が差し込む。今日はどのくらい寒くて、白い大気なんだろうと思いながら、もそもそと布団から抜け出て、コーヒーを淹れる。

 

夢の中でなのに、会った友人にばいばいするのが億劫になってるなんて、不思議だ。会えないよりよっぽどましじゃないかと思う。

 

弁当を準備して、コーヒーを飲みながら本を読んだり、少し仕事をしたりして、家を出る。

 

今日も予測できないトラブルが2、3起きる、ということだけ予測していてその通りになる。

 

帰宅するのは毎日7時過ぎで、東京にいた頃よりよっぽど早い。

 

例えば、百貨店で刺身を買うついでに物産展に惹かれて余計なものを買ったり、好きなラーメン屋の前で逡巡して結局蕎麦を食べたり、恵比寿でカレーを食ったり、真夜中にヒップホップを聴きながら川沿いを散歩したり、自転車で埋立地まで疾走したり、コンビニの前で薄いビールを飲みながら友達を待ったり、ベローチェで勉強したり(勉強に一番適したコーヒー屋はベローチェだと思う)そんな風景とは全く違うとこにいて、でも何も変わっていなかったり。背景だったのかな。

 

Zomatoというアプリで晩御飯を注文し、40分ほどで届く。ハーブご飯とパニール(カッテージチーズ)のソテーばかり食べている。

飯を食い終わって、ソファに横になり日本に帰ったら何をしようか、と考える。

日本にいた頃はここに来たら何をしようかな、と考えていた。

インド赴任というと大変だね、とよく言われるけど、実は東京からEscapeしたかった。

ただ結局のところ、大人になっちゃうとどこに行ってもバスケのピボットみたいだと思う。軸足は固定したまま歩幅を半径とした円の中でしか動けない。軸足を置いた自覚なんてなかったけど、ボールを持った場所がそこだったというだけだ。やたら広い歩幅になった。

バスケの比喩はこれ以上深まらない。

ドリブルでぱぱぱ、っと抜いていきたいというのは何の比喩にもならない。

 

 

まだこっちでしたいことが終わっていないよな、と思い直し少し元気が出る。

あんま楽しちゃいけないよな、と思う。

 

今日やるべきことを自分の基準で決めて、ちゃんとやって、一日の苦労は一日にて足れり、という気分で眠る。

 

【難しい言葉を使いたくなってしまうこと】

眠ると夢を見る。

夢の中で僕は現在の記憶を持ちながら、二度目の12歳を迎えていた。

 

僕は中学校の教室にいて、12歳の僕として中学校に入学した初日だった。教壇には、担任の先生が立っている。この人は実際の僕の中学校1年生のときの担任と同一人物だ。

教室を見回すと、何人かは実際に知っている人がいる。知っている人はみな僕が中学1年生のときに同級生だった人で、それ以外の人は別の時期に出会った人でもない完全なる初対面だ。そして皆学校の制服(Yシャツ)を着ている。

 

もちろん僕にはこの中学校で過ごした記憶があるけど、今の僕はコスプレしているわけではなく、純然たる中学一年生だ。

 

そしてすぐに直感する。

僕はここで人生を繰り返すんだ。過去に戻ったわけではなく、再び中学生を繰り返し、きっとこの先も繰り返し続けるんだ、と。

永劫回帰、という言葉が頭に浮かんでくる。

 

僕が既に知っている同級生は僕と同じように、この繰り返し人生を送ることになっている人で、僕が知らない他の同級生(これからよろしくね)は、多分一回きりの人生を一回きり生きる人達なんだと思う。

つまり永劫回帰というのは世界全体を説明する現象ではなく、個人に対して起こりうる現象であって、永劫回帰が訪れる人もいるし、訪れない人もいる。訪れない人がいる以上、訪れる人の人生の再現性は完璧にはならない。僕が人生パート1で出会った人の中で、永劫回帰の対象にならない人は、人生パート2に出てこない。代わりに僕が人生パート2で生きる時間をたった一つの時間として生きる別な人物が現れる。それがここにいる初対面の人達だ。

そういうことを夢のなかで理解する。そして、その理解と同時に僕の記憶はもうすぐ消えるんじゃないかと漠然と思う。そうじゃないとフェアじゃないもんな、と。

でも、記憶が消えることは嫌じゃない。僕の既に知っている人たちともう一度中学生活を始められることにワクワクしているし、この初対面の人達ともうまくやっていけるんじゃないかと思う。

今でも仲良い一人の友達に、これって永劫回帰じゃない?とたずねる。あんまかっこつけた言葉を使うなよ、だせえぞ、と言われる。

うん、悪い癖だと思う。

 

担任のN先生も、勿論繰り返し人生の住人なんだけど、僕と同じように記憶があるらしい。

彼は繰り返し人生を送っている僕と数人の同級生だけに、質問紙を配る。

 

質問の内容は一人ひとり違っているらしく、僕はそれに回答していく。

僕に関する情報が書かれている。くるりが好きですか?リスを飼っていましたか?

それにYesかNoで答える。予め僕を想定して書かれている質問のようで、どうやらここにいる僕が人生パート1の僕と同一かどうか、つまりアイデンティティが保たれているかどうかを確認しているらしい。僕以外の回答者もすらすら回答していく。

 

こういうのは、初対面のほかの同級生に対してフェアじゃないからやめようと思う。僕らだけ過去の自己との同一性を担保しながら、二回目(三回目かも知れないし、四回目かも知れない)を自覚して、同じ時間を過ごすのは健全じゃないと思う。

N先生をよく知っているし、昔よく反発していたから、こんなのやってられないというのは簡単なんだけど、それこそ一回目の人生だったらいきなりしないことなので、我慢して回答を続けるとこんな質問がある。

 

あなたの手術後の経過は順調ですか。

突然身に覚えのない質問が出てきて、なんだか怖くなる。多分Noだけど、前の人生で僕は手術なんか受けていたっけ?という疑問が湧き、受けてるとしたらそれは僕の知っている僕ではないと思う。

そもそも人生パート1はどうなったのだ?死んだ自覚もなく人生パート2に入っているけど、パート1もどこかで続いているの?そこでおれは手術しているの?大丈夫?

なんとなくインドの今の生活が現実感を持って頭に浮かび、中学校入学のわくわく感が波をひくように薄れていく。なんか不吉だな、と思ったところで、夢の内容が変わる。

 

僕は、平屋建ての家の中で、外国人の女性からアメリカのアニメ制作についての説明を受けている。

曰く、冬は寒くてみんな家に篭るから、冬の時期は予算をかけずにつまらない番組にしていても視聴率が稼げるの、で、冬以外の時期に余った予算でとっても面白いアニメを作るのよ。外に出かけるのとアニメを天秤にかけられるくらいのね。

夏にはスペシャルゲストを呼ぶといいですよ、マーベルのヒーローなんか出たら僕は観ますね、と僕はしたり顔で言う。

 

目が覚める。

不思議な夢だった。

 

同級生に言われた難しい言葉を使うな、というのが響いた。