憧れの場所は遠いまま

キャンプと山と人事とインド

好きの総量について

象徴的な夢を見て、真夜中に目が覚め、眠れなくなってずっとそのことについて考えてたりすることがある。

 

二日連続で、なんだか色恋沙汰な夢を見た。多分インドで寂しいんだろう。

 

〈一昨日〉

一月に一緒にスリランカに行った人と、インドの街中を歩いていた。

馴染みの店のドアマンが笑いかけてくるのでドヤ顔をする。

彼女はしきりにシャワー直った?と尋ねてくる。

確かにシャワーは今壊れていて、ちろちろとしか水が出ない。

「直らないですね」

僕は答える。

「なんでか知ってる?」

「いや」

「君が隠してる悪いものが、水道管に詰まってるからだよ。シャワーが出ないからもう君は清潔にもならないね」

なんだか隠し事があるような気がしてきて怖くなる。

 

目が覚めてしばし夢を敷延させて考えるのは、人間一旦悪いものが溜まると、それを洗い流す機能までも弱ってくるってくるってこと。自浄作用の分岐点みたいなものがあって、ある点を超えると自浄作用が落ちて、その後汚いことをしなくても、汚れは落ちなくなるのかも、と思い怖くなる。後ろめたいことがあるからこんな夢を見るのか。

 

〈昨日〉

結婚の挨拶みたいな場にいる。

相手は知ってる女の子で、現実で最後に会ったのは1ヶ月くらい前だ。

その子の父親が話しかけてくる。僕は初対面で名刺かなんか渡さないとと思うけど、あーオフィスに忘れてると思いテンパる。

曰く、

「人を好きになるときは、本当は綺麗な好きだけを見ないといけないよ」

と言う。実際の会話は忘れたけど、こんなことを言われた。

「好きの総量は、キレイな好きとキタナい好きの合算だよ。キレイな好きは共感とか慈しみとか優しさで成り立っていて、キタナい好きは自分のコンプレックスとか憎しみとか所有欲で成り立っている。大事なのは好きの総量じゃなくて、キレイな好きの量なんだよ。そこを見誤って、キタナい好きばかりで好きが出来上がってる人と一緒になっちゃならない」、と言う。

 

目が覚めて、その人への気持ちが理解できたような気がした。

 

インドで村上春樹の新刊を手に入れて読み始めた。

 

そんな日々。