憧れの場所は遠いまま

キャンプと山と人事とインド

企業における女性活躍推進について(前までの話とは関係ないけど)

<ここ二年くらいの話>

女性活躍推進が多くの企業で掲げられている。

多くの企業では、具体的な数値目標を伴った形で「活躍」を定義づけ、それを達成するための施策を実行している。

 

例えば、CSR活動のダイバーシティ項目に女性管理職比率の目標値を掲げ、女性に少し下駄を履かせて昇格させる会社もあるという。また、女性だけで部門横断型のチームをつくり、タウンミーティングや女性社員を対象とした研修の実施を行っている会社もあるという。

 

女性活躍、という言葉自体にしり込みしてしまい、そんなの逆差別じゃないかと男性社員が言える空気もなく、男女間の溝を一層感じているようなケースが想像できる。

迂闊なことを言えば、パワハラ、モラハラ、セクハラかつ差別主義者のレッテルを貼られかねず、男性としてはアンタッチャブルな領域になりやすいのがこの取り組みなのだ。女性の自発性を促すということ自体が女性活躍推進だもんなという怪しいロジックで、ごまかしている人事マンもいるのではないか。

 

僕は企業における女性活躍推進の取り組みには賛成している。

しかし、それは女性主体で担うべきではなく、男女が協力して担うべきだと考えている。

そんなの当たり前だよ、という感じかもしれないけれど、こういう当たり前のことをちゃんと言葉にしておきたい。

 

 

 

<何のため(1)?>

 

女性活用推進法(正式には女性の職業生活における活躍の推進に関する法律)の概要にはこう書かれている。

「自らの意思によって職業生活を営み、又は営もうとする女性の個性と能力が十分に発揮されることが一層重要。このため、以下を基本原則として、女性の職業生活に おける活躍を推進し、豊かで活力ある社会の実現を図る」

>女性に対する採用、昇進等の機会の積極的な提供及びその活用と、性別による固定的役割分担等を反映した職場慣行が及ぼす影響への配慮が行われること

>職業生活と家庭生活との両立を図るために必要な環境の整備により、職業生活と家庭生活との円滑かつ継続的な両立を可能にすること

>女性の職業生活と家庭生活との両立に関し、本人の意思が尊重されるべきこと

 

この概要には問題提起も現状分析もない。かろうじで文脈から読み取れる問題提起は「現状では女性の個性と能力が十分に発揮されていない」「性別による固定的役割分担を反映した職場慣行が及ぼす影響への配慮が不足(上手な書き方をしているな笑)」「家庭生活と職業生活の両立が困難」らしいということだ。

では、何が女性の個性と能力が発揮されることを阻んでいるのだろう。それを解決し、この法律が目指す方向に合致した会社になるための基本的姿勢について考えたい。

また、この話は家族共同体や少子化、教育、都市論までを包含する大きな問題になりうるがここでは、付随する問題については最小限の記述に留めることにする。

 

女性の活躍が必須というのは残念ながらまだ文脈自由な認識ではない。然るべき理解を前提としてこそ取り組みの方法と効果が向上すると考える。

 

 

<簡単な過去の振り返り>

 

 性役割(Gender role)という言葉がある。社会的に期待される性別の役割のことである。女性活躍推進活動はまるで、このGender roleを撤廃するかのような強いフェミニズムを感じることすらあるが、あくまでGender roleの見直しであると考えている。

 

日本では戦後核家族化が加速し、男性が労働の担い手となり、女性は家事・育児の担い手となった。これがGender roleだ。

子どもも第一次産業のときのように労働力ではなく、教育され投資される存在として捉えられ、女性は教育の機能も担った。また、ご近所づきあいにより、地域共同体の紐帯を維持したのも女性であった。男性が経済機能を担い、それを原資に女性が家族機能の維持、再生産を行うことで社会が機能していたのだ。高度経済成長の中で、男性の収入が増えていき、生活が豊かになり、子どもへの教育水準もあがり、次世代はより高度な職業、高い収入を得るという幸福な物語が過去にはあったらしい。

勿論、働いている男が偉いという男尊女卑的な風習が当時あったことは否定できない。また、この役割分業自体が、性役割を再生産するため、女性が活躍する土壌が育ちづらかったのは事実である。そのことを不幸だと言うのであれば、そういう考えがあることは理解する。

しかし、この性役割は当時の社会における必要な分業機能であったのだ。女性は労働から解放された時期でもあった。決して、女性の活躍の機会を制限し、抑圧していたわけではないということをここで言いたい。

 

80年代以降、女性が働く環境が整ってきたこともあり、男女雇用機会均等法などの法整備が進んだが、雇用後の「キャリア機会」については保障するものではなかった。女性のGender roleから「家事・育児」が消える事はなく、この役割を担いながらの範囲で労働していた。寿退職というように、結婚したら退職するという風習があったらしい。逆に言えば、高度経済成長期に男性が築いた「労働の場(慣習)」にまで女性が踏み込んでくることは無かった。

 

 

<何のため(2)?>

 

ジェンダーによる分業は社会を機能させるためのものであり、男尊女卑に基づくものではなかった。それが現在になって、女性活躍推進が声高に叫ばれることになったのは何故か。

これはシンプルに二つの理由である。社会にとって労働力が不足しており、共働きではないと家族共同体を維持出来ないからである。

労働力としてもはや男性だけで維持出来る社会ではなく、女性の力が必要だけれど、現状は女性にとって働きづらい部分が多々あるため、より働きやすい環境整備が必要だ、というのがそもそもの問題意識である。

ここで間違ってはならないのは、女性活躍推進とは決して抑圧されていた女性の解放運動ではないのだ(完全にそうではないと言い切れない部分はあるけれど)。平塚らいてうの仕事とは違う。女性の自己実現支援でもない。ましてや、資本主義精神に則り、多様性と利益率に相関があるとか言って女性をやたら昇進させることではない(そもそも多様性の根拠に性差を認めていいのか、という議論もある)。

ここで言いたいのは、女性活躍推進というのは女性のためにある施策ではないのだ。女性活躍推進とは社会問題の解決手法として政府が選択したものである。まず、その認識を共有し、それを担うのは社会構成員である男性、女性関わらぬ市民の仕事であることを理解しなくてはならない。ましてや企業に対して要請されているのであれば、男性社員、女性社員が手を取り合って考えなければならない。

女性に自分たちが担わなければと思わせること自体が誤謬であり、男性が女性をとりあえず優遇しておこう、という認識が誤謬である。この認識がある限り、女性活躍推進を掲げる人事施策はシラけ続けるものになる。

 

<男性が担ってきた「労働の場」>

 

上述の通り、戦後の労働の場は男性が担ってきた。これは元々あった「労働の場」に選択的に男性が参入したのではなく、労働力としての男性が経済成長に伴い調整を行いながら「労働の場」を作り上げてきたことを意味する。基本的に日本の職場は男性による男性のための男性ガラパゴスな場所であった。そしてそれは職場外部のビジネス慣習に及ぶ。80年代の女性の雇用拡大ではそれを変えるに至らなかった。

長期休暇を取らないフル稼働可能な人材を前提に、現在の日本の職場は成り立っている。女性はライフイベントとして長期休業が必要となることがある。そこで結局女性は使いづらいとかいう、性差に基づく差別発言をする人が出てくる。それは女性側の問題な訳はなく、女性を受け入れられない現在の労働環境が限界にぶちあたっていることの証明なのだ。かなり偏った価値観に基づき生成され、再生産され続けてきた男性中心の労働環境を再帰的に問い直す必要がある。

とは言っても、それが社内だけの話ならまだ対応しうることなのだがこれは日本の暗黙知なビジネス慣習に浸透しきっている(怪しい接待など)。外部を変えるのは一企業に出来ることではない。

 

<何をすべきだろうか(思いつきの羅列)>

 女性が活躍するためには、現在の労働環境が男性中心であるが故、その土台の上では下記の配慮が必要だ。

・勤務時間

・キャリアの中断

・異動不可能性

・職種の限定

 

(勤務時間)

フレックス、時短もあるけれど女性しか使わないということはシラけを生む。だから思い切ってオフィスを捨てる未来を考えたい。そもそも自宅から一時間以上かけて東京で仕事をする必要はない。男女関わらず、真に効率的なワークスタイルを追求するのであれば職種によっては自宅勤務・テレワークがいくらでも可能だろう。2017年の情報化社会において、自宅勤務・テレワークを十分な生産性を持つはずで、それはキャリアを制限したりしないはずだ。労務管理の困難さは人事が対処すべきことで、努力次第でどうにかなる。

(キャリアの中断)

 Jobベースの会社であれば、そのポストから人がいなくなれば新しい人を置く。育休を取れば、帰ってくるときにはポストがない。じゃあ男性がとると言っても、男性に同じことが起きる。ここは難しい。そもそもGender roleを見直し、育児の負担は男性が負うことも出来るが子どもは生めないので、女性の負担(負担と言いたくないが、勤務するに当たってのという文脈です)は大きい。結論はないけど、なんかユニークな人材配置制度とか、兼務、暫定ポストの設置とかで上手くカバーできないかな。

(異動不可能性)

 これは勤務時間と同じで、だんだん場所に関わらず仕事が出来るようになるだろう。また異動できる人材を複数確保することはマネジメントの仕事だし、会社としては比較的等質に見える複数キャリアを社員に提示することが大事だ。全国コース・地域コースというような処遇に差がつくわけ方ではない。0か1でないキャリアの選択だ。出世コースは一つじゃないよ、という風に。そもそも男女関わらず人にはそれぞれ事情がある。

(職種)

それでは職種が限定されてしまうではないか、という指摘が営業職である。うん、ここはとても難しいです。お客さん次第なところもある。

 

<最後に>

なんだかばたばたと書いてきましたが、今日言いたかったのは女性活躍推進の認識を企業にいる社員で共有しましょうね、ということでした。

また、「よく働く」という言葉の意味は男女間ではなく、個人の価値観に依存します。既存の労働環境に合わせた活躍を求めるのは男女関わらず限界があります。この女性活躍推進が問題提起となり、多様なワークスタイルの実現に繋がる一石になるといいなと思っています。男性社会の競争に巻き込むのが機会の公平ってわけでもないだろう、ってな具合です。

 

でわ。