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Feelin'29

 

昨晩のこと、というのは2017年1月12日のことだ。
日本時間は既に13日になっていて、こちらでは月が天頂に昇る頃だった。
仕事が終わらず、家でせっせと作業をしながら宇多田ヒカルを聴いていた。

最近は、もっぱら宇多田ヒカルだ。
Fantomeがリリースされて、しばらく聴きこんで、今年に入って宇多田ヒカル全般を聴きなおしている。以前の記事で宇多田ヒカルとの出会いについて書いたが、中学一年生のときにDeep Riverがリリースされたときからの好きな歌い手だ。彼女の楽曲で好きな曲を挙げろ、と言われたら上位に来るのはこのアルバムの曲だろう。好きという自覚もないままに12歳の自分はこのアルバムをMDに録音して、繰り返し聴いていた。

スリランカに旅行に行ったのは年末のことだ。インドから飛行機に乗って三時間半で着く。治安が良くのどかな国だ。南の北海道という表現がしっくり来る気がする。面積も同じくらいらしい。平原の代わりに、やしの木を中心とした熱帯雨林が広がり、それを切り裂くように一本道が続く。どこまでも同じようで、少し違う風景。刺激はないが不思議と眺めていて飽きることのない風景。車の窓から注ぐ陽に身を焦がしながら、隣の席を眺めると彼女は目を瞑っていた。
僕は3年ぶりに会う人と一緒に旅をした。車とドライバーを三日間リースし、行きたいところを巡る自由な旅だ。コロンボから文化遺跡が集中する地域は離れているため、必然的に車での移動時間は長く、その間、僕らは他愛もない話をしたり、眠ったり、音楽を聴いていた。
3年前、僕は社会人一年目で、彼女は地方で働いていた。大学時代の先輩だ。出張で彼女のいる街に行った時に久しぶりに会った。それ以来だった。何で今更一緒に旅行に行くことになったのかは分からないが、縁だと思う。わずかばかりの思いがあった気もするけど、それは、折角だからという言葉に収斂され、その後特に検証していない。
記憶というのは本当に不思議なもので、同じ3年でも、彼女に最後にあった記憶とその頃に起きた別の出来事というのは、それぞれ思い出すと異なる位相にあるように感じる。
また、空港で出会ったとき、そこでもまた時間の感覚が書き換えられた気がした。

車の後部座席に並びながら、太宰が津軽で書いた心境はこんな感じだったのか、と大げさながらに思った。大学では在籍が二年しかかぶっていないし、実質よく話したりした期間は半年程度だと思う。全く違う生活を離れたところで送っていたから、共通の話題が多いわけでもない。お互いの基本的な情報すら忘れてたりするし、思い出もかみ合わない。無言が蓄積まるでMSC、という感じなのだが、不思議な居心地のよさに包まれていた。他人と旅行している事実を感じられないくらいに、重みがなく安らいだ時間だった。特別に大切な人という訳ではなかった分、驚いた。

「なんか音楽流してよ。」
「宇多田のアルバムが出たんすよ、聴きました?」
「聴きたいと思ってたけど聴いてないんだ、持ってる?」
「持ってます」

普段イヤホンで聴いていた、道という曲をiPhoneのスピーカーで流しながら、歌詞をかみ締めていると全く違う聴こえ方がしてきた。お母さんのこと歌っている、という情報で先入観があったけど、別に俺なりの解釈をしていいな、と思った。

「これってキリストのこと歌ってるよね」と彼女が言った。
「え?」
「足跡って詩知っている?」
「知らないです」
彼女は説明してくれた。

もう一回聴いてみた。キリストのこと歌っているようにも思えたし、僕にとってのその人のことでもあって良いと思えたし、少し泣けてしまったのだった。

彼女が日本に帰る日、空港に向かう高速道路は海沿いを走っていて、夕焼けが綺麗だった。今日と夜と海がそれぞれ色を分け合い境界を失いながら、光っていた。海側の座席の彼女の横顔を眺めながら、5lackの「Feeling’29」という曲のPVを思い出していた。
しばしの別れだと思うと少し寂しくなった。

逢いみての後の心とくらぶれば 昔はものを思わざりけり

次会うのは半年後かも知れないし、3年後かも知れないし、10年後かも知れない。寂しいけどこの時間があったことはやたら確かに思えて、それでも大丈夫だな、と思った。