いろんなことに夢中になったり飽きたり

 

“いつでもいろんなことに夢中になったり飽きたり

それが何かってことは分かっていなかったり

あぁ好きになった日々は過ぎるよ

あぁ季節はすぐ小雪まじりの冬に

 

答えがないならないでいいんだ

いつかは冬が過ぎ 春が来て

忘れてしまった頃に思い出すよ

 

答えがないなら ないでいいんだ“

(サニーデイサービス「いろんなことに夢中になったり飽きたり」)

 

 【分からないことについて】

僕は分からないことが多い。そして、分からないということを恥ずかしく思っている。

例えば偉い人と一緒に車に乗るとき、どこに座らせればいいか分からなくなってしまう。誰かが決めた上座に座らせるより、万が一のときすぐに脱出できるよう歩道に向いた助手席後部座席がいいんじゃないか、とか折角インドの景色が見れるから助手席に座らせたほうがいいんじゃないか、とか考え始めて、でも結局人の気持ちなんて分からないな、と思って上座を譲ったりする。

マナーの大切さが分からないし、人の気持ちが分からない。

もう少しいろんなことが分かればいいのにな、と思うし、そんなこと望むべきでなとも思う。

 

あるときは、大切な人にめでたいことがあって、僕には祝いたい気持ちがある。でも、大切な人を喜ばせる言葉が分からないし、喜ばせるための言葉を考えること自体が良いことなのか分からない。祝いたい気持ちと、何か伝えたい気持ちは違う。

 

会社の人が、こんな発表資料を作っている時間は無駄だという。そうかも知れないし、資料を作らずにやっていることのほうが無駄かも知れない。あなたにとって無駄だけど、会社にとっては大事かも知れない。会社にとって大事なことが将来あなたのためになるかもしれない。ぼそぼそとそういうことを告げてみる、と仲が悪くなる。

 

お前迷っているだけで何もしていないじゃん、という言葉が耳に痛い。

いや、おれは倫理は実践的でなければと思っている。

 

そういう自分をあなたはどっかで正しいと思っているでしょう、という声が聞こえてくるのも嫌になる。

正直、間違え続けることが唯一、正しさの証明だと思っている。

 

実際の生活では、価値判断を留保するほどの余裕もなく、とりあえず物事を決めている。その繰返しで仕事を回し、成果を残そうとしている。いつかツケがいつか回ってくるんじゃないかとびくびくしている。

 

何かを否定したいわけじゃないんだよ。

もう少し勉強すれば、もう少し勉強すれば、少しは分かるかもとずっと思っている。

賢い人に諭される生活が好きだった。

 

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「パンケーキについて」

 観光地の作られ方についてこの前ラインで友達と話していたら、話が逸れて情報と消費みたいな話になった。

 ラインだと、推敲せずに言葉を垂れ流し、相手の反応如何で言葉の内容を変更するので、後から見返すと当初話したかった事じゃなくなることが多い。あっちこっちに会話が飛んでいる。そんなとき、人と話していた感じがぐっと湧いてきて、今すぐ対面で会いたくなったりする。

 

 なんの話しかというと、まあなんか情報が多すぎるし、僕ら自信が情報に接するライフスタイルになりすぎているよね、という話。

 

 僕の感覚だと2011年くらいまで個人が自分の求める情報に簡単にアクセスできた(少し物足りないくらい)だったのが、情報が増えすぎて、情報処理コストが格段に上がった。また、そもそもスマホの普及でインターネットなんか使用する必要がなかった消費行動にすらインターネットを使うようになり個人が接する情報量が増えた。結果、そもそも嗜好なんてないような消費行動にすら情報検索のフェーズを介入させるようになった。

 

 そもそも人間は意思決定のコストを下げたがる生き物で、例えば各種のバイアスっていうのは意思決定コストを下げるためにある。

 

「まとめサイトは流行っているというよりも、なんか救急箱的な存在だよね。やむを得ず使うような。でもいざ中身を見ると玉石混合で選択基準のない情報の羅列(まとめられていない)ことも多いよね。結局まとめサイトに基づいていたら、消費と嗜好は画一化していくよね」

と言ったら、

 「でも、消費社会って基本的には画一的な消費に向かうものだから、今更ネガティブフレームで語るようなことじゃないと思う。長いスパンで見たら、あなたが言うところの個人が個人の嗜好にマッチした情報を入手できて消費行動が多様化したという時期が特殊だっただけじゃない。私はそれも少し違うとおもうけど。」

と、言われた。

 

情報は個人のものであり、社会システムのうちにある。社会は消費を促し続ける。効果的、効率的に。

 

いろんなものに夢中になったり飽きたり。忘れてしまった頃に思い出すような好きだったものたち。僕は僕が夢中になった人達が夢中になったものたちに夢中になって、ときに番外編的な可笑しな出会いがあって、何かを消費するというのは決して虚しいものではなく、楽しかったのだ。飽食や止め処なき欲望ではない消費をしていたのだ。

 インドで絶対に観光に行くべき10の場所で1位にあげられているという理由で「タージマハル」に行くことと、ジュンパラヒリの小説で「世界で一番ロマンチックな場所」と書かれている理由でタージマハルに行くことは少し違うのだ。

 消費行動を絞って感性と情報をじっくり照らし合わせる時間が若いうちには必要だと思う。

 

 そういいながら、僕はInstagramで大学の後輩がパンケーキの写真上げているのを見て、ネットでパンケーキのまとめなんかを見て、うわすげえ、俺の知ってるやつと違う!むっちゃふわふわのパンケーキ食いたいなどと思うのだ。パンケーキなんて日本にいても食わなかったし、帰る頃には忘れているんだけど、Instagramにパンケーキを上げることに夢中になる人生に憧れたりする。

 

 仕事しよう。