憧れの場所は遠いまま

キャンプと山と人事とインド

(中編)カータースタイル・フラットピッキングとケララ産できめて

前回までのあらすじ

自意識の目覚めとともにTHE BLUE HEARTSとパンクロックに傾倒した少年は、若者文化屋を訪れ、それ以外に無限に広がる音楽の存在に慄いた。音楽が無限にあることは知っていたが、多くのそれらは僕の世界の外部にある無視していい音楽だった。しかし目の前にはマーシーTシャツがある。マーシーは即ち内側の音楽であり、このTシャツと並べられる数多のレコードも本来、少年とつながる内側の音楽である気がして、僕は自分の世界の狭さに落ち込むとともに、音楽を知る、ということに強烈な憧れを覚えたのだった。

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同世代の若者よりも沢山の音楽を知っている、と思ってたけど井の中の蛙。そもそも知識を争うものじゃないけど、もしこのYouth Recordsを自分の居場所に出来たら、そんなにカッコいいことはないだろう。

その年の誕生日(2004年か2005年)、僕レコードプレイヤーを買った。Audio Technica製で今年の夏、インドに行く直前まで使っていた。このレコードプレイヤーを持っているということが、大学生になって効いてきたりするのだが、当時はただの背伸びだった。これがあれば、とりあえずはYouth Recordsで買い物が出来る。

 

しかし、高校一年生の僕には如何せんお金がなかった。母親が偶に昼食代にと渡してくれる500円や1000円はその日のうちに既に聴いていたジャンルのCD代に消えていた。また、高校生になってからは部活に明け暮れ、友達とユースタ(カラオケ屋)に入り浸る日々だった。

つまりこれ以上余分に音楽にお金を使う余裕はなかった。そして、原宿が遠かった。

 

ある日、どうにかこうにか音楽好きな友達と原宿に行った。どういう話をしたか忘れてしまったけど、勧められて買ったのが、The Stone Rosesの「Sally Cinnamon」というEPだった(個人セレクトということもあり全体的に少し高めだったので、LPは買えなかった)。

 

ターンテーブルに載せ、飽きるほど聴いた。不思議と飽きなかった。

 

しかし原宿なんぞ滅多にいけるものではない。往復だけで2000円近く掛かるのだ。そんな原宿まで行けない僕が見出したのはインターネットだった。Youth RecordsのHPには毎月のお勧めの音楽というコーナーがあり、コメント付で何が良いとか書かれていた。このレコメンドを参考に津田沼のディスクユニオンでCDを漁った。

インターネットで音楽を探せるという発見は大きかった。Youth RecordsのHPのみならず、インターネットで音楽を調べることを学んだ僕は、好きなバンドがどんどん横に広がっていくのを感じていた。その頃、Youtubeは既にあった。今ほどコンテンツは無かったが、洋楽PV等はアップロードされており、新しい音楽との出会いの場として十分だった。だが、そのころからストリーミングの音楽というのはずっと心もとないと感じていて、好きな音楽なんかに出会うとそれをCDとして入手しないと不安な気持ちになる。

他に参考にしていたHPは「Wish You were Here」というページだ。その名の通り、ピンクフロイドのファンの方のページだったのだが、かなり最近の音楽までジャンルレスに紹介されており、かなり信頼していた。

 

今思うと高校一、二年生の時期の世界が広がり方のスピードは凄かった。一年間であんなに沢山のことを吸収していたなんて信じられない。勿論音楽だけではなく、友人や部活を含めた学校の出来事など、刺激があふれていた。きっと、今同じだけだけの学習材料が目の前にあっても、それを消化し、血や肉にすることは出来ない。新しいものを好きになったりすること自体が困難になっていると、感じる今日この頃。

そして、音楽の趣味・趣向というのはそこである程度決定的になっていたかも知れない。

 

その時期に僕が出会って好きになった音楽たち。

My Bloody Valentine, The Strokes, RIDE, Jesus& Marry Chain, Wannadies, Pale Saints, Pixies, Longwave, Black Rebel Motor Cycle Club, Swervedriver, Slowdive, Flying saucer attacks, Jazz Butcher, Pavement, Flaming Lips, Spiritualized。ここら辺はよく聴いた。

分かる人は分かると思うけど、Shoegazerと呼ばれるジャンルの音楽にどっぷりと使っていた。

 

その頃僕は惰性でダルイとか死にてーとか、萎えるとかよく言っていたんだけど、高校一年生のある日教室で死にたい、みたいなことを言ったら、そこまで仲良くなかった友達が「俺は死にたいよりもみんな死ねばいいと思うんだよね」みたいなこと言って、こわっと思ったんだけど、その後なんとなくマイブラを勧めたくなって、こういうのあるけど?って言ったらその友達はまさにマイブラが好きだった、という思い出がある。二人とも結局は同じ心境だったのかもね、って。マイブラやばいよね、とひそひそ話していた。マイブラってそういう音楽だった。

 

僕はShoegazerを中心とした90年代のUKロックがとても好きで、それに加えてUSのギターポップが凄く好きだった。これらの周辺に連なるブリットポップや、ネオアコをさらに聴いていた。俺は19歳になったときにはロディフレイムより良い何かを残したいな、音楽は無理だけど何かクリエイティブなものを残せるだろう、と漠然と信じていた。

 

このように音楽の幅が広がり、自然と日本の音楽にもいよいよ抵抗が無くなってきた。特に好きだったのがフリッパーズギターとサニーデイサービスだ。他にはナンバーガール、ミッシェルガンエレファントというド定番でたまらなく格好良い音楽が好きだった。

僕はなんだか一昔前の音楽、古くはないけどちょっと前、という音楽がやたら好きだった。現役では、くるりとフジファブリックが凄く好きだった。

 

その後もYouth Recordsには何度か訪れた。

あるとき、フリッパーズギターが好きです、と言ったら庄司さんはCandy Flipというゲイ二組のユニットを教えてくれた。ジムオルークやパステルズのレコードを買った。

 

そうこうしながら、高校一年生、二年生というのは世界が広がりまくっている気がしていた。むしろ時間が流れるというのはそれだけ世界が広がることと同意なのだと、そう当たり前に信じていた。

部活や受験のどたばたを音楽でどうにかやり過ごしていて、まさにミュージックブレスユー的に音楽があればあとは大丈夫っていう感じだった。

 

そして高校二年生の終わり頃、決定的な出会いをする。

僕にはセンスを信頼できる友達が何人かいて、そのうちの一人をライバル視していた。ライバル視するにいたるには紆余曲折があるのだが、僕と彼には共通点があり、それは二人とも木村カエラが好きだ、ということだった。

僕は木村カエラが好きだというのを公言していたが、彼はしていなかった。彼は僕以上に木村カエラを愛していて、そしてイケメン、絵もうまい、服のセンスも良いというかなり美味しい立ち位置を確立していたため、そのイメージを崩せなくなっていた。たまに「俺が一番最初にsakusakuで木村カエラ見出したんだけど」と僕にだけ教えてくれたのが可愛かった。僕もsakusakuが大好きだった。彼はシャイだったので彼のために木村カエラの写真集を買っていってあげたことがあるくらいだ。

 

火曜日の夜にJ-wave木村カエラの「OH! My Radio」を聴いていたときに出会ったのがPerfumeだった。木村カエラはチョコレイト・ディスコをよく流していた。

今の彼女たちのイメージと異なり、当時の彼女たちは完全にアイドルだった。アイドルなんて、そんな恥ずかしいものに興味を持てるわけがない。なぜなら、アイドルのイメージも今とは大きく異なり、当時アイドルといえばグラビアアイドルくらいで、歌って踊るアイドルは全盛期を過ぎたモー娘を除いて本当に全滅しかけていて、アイドル好きなんて本当に可哀想な人という扱いだったのだ。実際、AKBはおろかアイドル好きな人なんて当時は一人もいなかった。

僕も最初はピンと来なかったし、正直に言えば、売れないアイドルってマジでこんなレベルなんだな、と思っていた。ところがあるとき、Youtubeでエレクトロワールドという曲を聴いて衝撃が走った。か、かっこいい。しかし、ツタヤでレンタルCDを置くほどポピュラーにはなっておらず、かと言ってアイドルのCDなんて買えるわけはない。

 

そこで携帯電話でパーフェクトスターパーフェクトスタイルだけ着ウタをダウンロードした。気がつけば再生数は400回を超えていたのを覚えている。木村カエラの紹介から数ヶ月経たないうちにPerfumeについて「音楽好きが認めるアイドル」という評価が広まっていたように思う。その評価は僕の背中を大きく押した。つまり俺はアイドルに嵌ったわけではなく、これまで磨いてきた鋭い音楽的感覚が彼女たちの音楽の素晴らしさを感知してしまったわけだ、と。

 

ただ、世間一般の認識とは大きなギャップがあった。僕がどんなに周りにPerfumeを勧めても、「え?アイドル聴いてんの?てか、これアイドルなの?」と。音楽に詳しいヤツという立ち位置から、アイドルオタクに落ちそうになっていた。一方、迫害されればされるほど信仰心は高まる、ではないが僕はPerfumeがどんどん好きになっていた。

 

半年くらい経ってようやくタワレコでCDを買うことが出来た。予備校で友達と話すときもほとんどPerfumeの話をしていたくらいだ。

 

僕のこれまでの音楽への気持ちは、つまることろ一枚のCD、一枚のMDに対する愛情だった。対象は円盤とそれがまわっている時間でしかなく、そのグループや人間には別に興味がなかった。それが変わったのだ。

 

そうこうしているうちに高校を卒業して、大学に入学した。結果的に僕の高校生活は「アイドルにハマッて」終わったのだ。

その後、Perfumeの人気は語る必要もあるまい。大学入学後、高校の友達に会うたびにPerfume好きが増えていって僕は嬉しかった。

ただ一つ述べておきたいのが、僕のPerfumeに対する気持ちには常に解散する前提があった。2007年当時、恐らく3年後、長くても5年後には解散するという前提があったからこそ、あそこまで熱中できたのだと思う。

 

さて、Perfumeの話は本題ではないのだが避けて通るわけにもいかず、寄り道してしまった。

次のフェーズに移ろう。それはandymoriとの出会いだ。

 

大学一年生の頃、僕は某国立大学に通っていたのだが、Youth Recordsはと言えば、エヌハリの屋根裏部屋から、原宿駅前の吉野家が入っているビルの何階かに移っていた。店は前より広く、以前のレコードコレクション、伊賀大介セレクトの古本、そしてカフェスペースまで出来ていた(豚丼がとても美味しかった)。若者文化屋の最終形態。2008年頃、東京で最高にヒップなスポットだったと思う。店でかかっているレコードは、18歳になった僕にとっても未だ手が届かないかっこよさを響かせていた。こんなジャンル聴いたことないというものから、なんだこのかっこいいパンクは?知らなかった、というような具合のものまで、僕は全然追いついていないのだ。しかし僕は僕なりの趣味・趣向を既に構築できていて、最初に感じたような萎えはもう当たり前になかった。

そして、そのYouth Recordsが若者文化屋の枠を超えて、音楽レーベルを立ち上げるという。フライヤーが店にあり、バンドの名前はandymoriというらしい。

 

Youth Recordsに対する僕の信頼は厚かったが、それはあくまで歴史の洗礼を受けて並ぶレコードたちのチョイスに対してであって、日本の新人バンドにはそこまで興味が無かった。それでもこれまでのこともあり、僕はアルバムがリリースされるとそれを手に取った。

 

まだ、終わらないや。出来事を削っているのに。

とりあえず、高校生までは書けた。次回一気に大学生編を書いてインドにつなげます。

 

つづく