憧れの場所は遠いまま

キャンプと山と人事とインド

(前編)カータースタイル・フラットピッキングとケララ産できめて

10/23 日曜日

今日はインドでカレーとクルフィ(アイス)を作りました。

中学生の僕とインドにいる今の自分を繋げるもの。それはもちろんこれまでの学歴だったり、就業経験だったりするわけだけど、例えば音楽について語るとき、約15年の曲がりくねった時間をまっすぐにつなげることが出来るかも知れないと思う。

 

キーワード:宇多田ヒカル、THE BLUE HEARTS(及びTHE HIGH-LOWS、クロマニヨンズ)、Youth Records、andymori

 

それぞれで一本くらい記事が書けるのだが、今日はすべてについて語ろう。

 

僕は中学一年生のときにはもう音楽が好きだったけど、その頃は自分の趣味趣向もまだ構築されていなかった。もっと小さい頃には親父が聴いていたチャゲアスが好きだった。

中学一年生になったころ、なんとなくダサく感じていて、そのとき一番好きだったのは宇多田ヒカルだ。人生で二番目に買ったCDが宇多田ヒカルの「Deep River」だった(最初はクリスティーナアギレラだった)。

 

2002年のことだ。

父の実家が長崎にあり、夏休み帰省したときに、一人で街を歩きながら買ったばかりのMDウォークマンでこのアルバムを聴いていた。その夏のヘビロテは、他にミスターチルドレンの「Any」と浜崎あゆみの「H」というシングルだ。

特に好きだったのが、宇多田ヒカルの「Final Distance」という曲と、浜崎あゆみの「Hanabi」という曲だった。

僕は私立の中高一貫校に通っていたため、小学校のときの友達とみんなさよならしてしまっていた。一人か二人くらいとは中学に入ってからも遊んでいたが、彼らともすぐに疎遠になってしまった。その夏、僕は小学校6年生のときに好きだった女の子が相変わらず好きだった。

Final Distanceの歌詞にある「I wanna be with you now」という習いたての英語力で理解したシンプルな願望、そしてHanabiにある「君のこと思い出す日なんてないのは、君のこと忘れたときがないから」という、自らの感覚を他人に言語化される経験の心地よさ。

一人で長崎の平戸、出島あたりをぷらぷら歩いきながら、寄る辺なく海を眺めていた。そのころ気持ちはもう思い出せない。景色も上塗りせれてしまって、正しい記憶かも分からない。長崎の海には匂いがない。あるいは町と海の境界が薄いせいで、すでに街自体が海の匂いなのかも知れない。坂を上れば、一望できるくらいの小さな街で僕はすごく好きだった。

 

ところで、宇多田ヒカルの「Deep River」というのは遠藤周作の「深い河」という小説に影響を受けて作られたという。深い河という小説は、日本人にとってのキリスト教信仰の可能性を描いた作品であり、八百万の神という多神教的価値観とキリスト教的一神教価値観が重なり会う光景がかくも雄大なインドを舞台に描かれている。母なる河・ガンジス川に導かれるようにインドを訪れる複数の日本人男女のそれぞれの視点で、物語が描かれる。特に「たまねぎ」を信じる大津という男の、寛大さと哀れさの描写は心打たれる。

大津のように生きたい、と実は思っている(僕は大津と同じ大学を卒業している)。

話が逸れた。何が言いたいかというと、宇多田ヒカルとインドもつながっていたのだ、と感じるのだ。深い河については、いつか書こう。すばらしい小説だ。

 

2002年末に浜崎あゆみが「Voyage」という曲をリリースした。さっき本当にもう何年ぶりかに聴いたら意外なほど、しっくり来た。数年ぶりに懐かしい曲を聴くとき、最初のサビくらいまででだいたい満足してしまってストップしてしまうのだが、最後まで聴けた。

「僕たちは幸せになるためこの旅路を行くんだ」

という極めて2000年代前半的な、良い意味で空っぽな歌詞。あの頃はメッセージソングが上手く機能しなかったら、こういうまん丸な言葉の歌が流行ったのだ。2016年の今、この歌詞とても重くないですか、簡単に飲み込めない。

 

2003年になると、周りがロック、そして流行りの洋楽を聴き始める。当時流行っていたのはロックは椎名林檎、バンプ、ハイスタ、洋楽はSUM41、Avril Lavigne、Blink182などだ。

 

そういう変化の中、僕もポップミュージックが途端に格好悪く見えてきたのだ。かと言って、洋楽を聴くにも英語が分からないし、何が良いとかの判断基準がない。既にみんなが聴いている奴を後追いするのも、良さが分からない分、なんだかみっともない。

親父のカードでツタヤに行って有名な音楽のCDを借りてくる。

そこで、出会ったのがTHE BLUE HEARTSだった。みんなブルーハーツとの出会いと、その素晴らしさってのは青春における必然のように語るけど、そこには個別の出会いがあるのだ。借りてきたアルバムは「LIVE ALL SOLD OUT」だった。

先ほど、浜崎あゆみのときに言ったが、自らの感覚を他人に言語化される経験がこのアルバムには詰まっていた。

ああ、俺のことなんて誰にも分かってたまるか、美しさというのは俺にしか分からないどこかにあるんだ、という尊大な自意識の胎動がそこにあった。ヒロトとマーシーの言葉が胸に響いてしょうがなかった。

 

「世界中に立てられてるどんな記念日なんかよりあなたが生きている今日はどんなに意味があるだろう」

 

あなた、という呼び名が優しかった。肯定された苦しみをすくってくれた気がした。

このアルバムの中でヒロトが「やるよーやっちゃうよー」とシャウトする声が録音されている。僕は、何をやるかなんて決まっていないし、空っぽなのに、ずっと「やるよーやっちゃうよー」と思っていた。

一つ一つのメッセージが突き刺さるのに加え、なんだか、ベトナムに降る雨とか車掌さんとか文学的な歌詞はまだ見ない世界の断片を頭に埋め込まれているような気がして、胸が躍った。ビートルズが好きな友達に、もっといいバンド教えてあげるよ、と僕はブルーハーツを勧めていたりして、いまだに会うとその頃の話をして笑ったりする。

 

2003年から2004年頃にそうして僕はパンクを聴いた。中学2年生から3年生まではRAMONES、SEX PISTOLS、そこからメロコアのBad Religion、Rancidが好きだった。エピタフレーベルのバンドの中古CDをディスクユニオンで買いあさった。音楽が中心だった。何を言っているか分からないけど、その姿勢に間違いはないと信じていた。

日本のロックは全くと言っていいくらい聴かなかった。そのくらいブルーハーツが素晴らしくて、彼らだけが本物で、他はなんのメッセージもないじゃないか、と思っていた。狭量だった。価値基準が脆弱だった。

 

2004年に僕は中三で、ずっと昔にTHE BLUE HEARTSはもう解散していた。THE HIGH LOWSは最初あんまり好きになれず、でも聴いているうちにかっこよさが分かってきた。ロックンロールってのは何も劣等感と美しさを語るための言葉の音楽じゃあないってことが分かると色々な音楽が聴けるようになってきた。

2004年秋にハイロウズが「Do the Mustang」というアルバムをリリースして、そのツアーに友達を無理やり連れて行った(僕はテニス部だったんだけど、中学部活を引退してバンドを組んでいた。そのバンドのベース担当だ)。渋谷公会堂が初めてのライブだった。強烈だった。生でギターとベースとドラムが響くのかっこよかった。

アネモネ男爵という歌の中に、「人のために生きる退屈を知っている」という歌詞がある。

この言葉を理解するまでに時間がかかった。賛成したり反対したりを繰り返してきた。

ピンク色のバンドTシャツを買った。私服は全てロックTシャツにしたかった。

 

そして同じ頃、中三だったという風に記憶しているが、高一かもしれない。今、インターネットで確認しているんだけど、時系列が良く分からない。

ある日、雑誌を読んでいたら(確かメンズノンノだったと思う)マーシーTシャツを扱っている原宿の服屋が紹介されていた。モノクロのマーシーの写真だった。

その服屋(正確には雑貨屋というか、後で詳しく書きます)はYouth Recordsという店で庄司信也さんという方が主催していた。僕はテニス部の友達と総武線に乗り、原宿に向かった。

しかし、住所の場所に行ってみても看板もないし、店らしき建物もない。お洒落な住宅街の奥にさらに小洒落た民家があるだけだった。何度も行き来した後、そのお洒落な淡いグリーンの民家の扉が開いていることに気づいた。扉のすぐ横には小さく「Mister Hollywood」というモニュメントがあった。そういえば、Mister Hollywoodの上みたいなこと書いてあったなと思い僕と彼は店に入った。

 

おいおい、これが服屋ですか、というショックを味わった。

パルコで服を買う少年に看板のない服屋というのは衝撃だった。まず、服屋なのになんか良い匂いがする(お香初体験だったかも知れない)!そして中三の僕には少し早かった。服はとてもシンプルでこれがお洒落なの?とよく分からなかった。さらに値段を見て腰を抜かした。Tシャツが1万て、そんな世界あるのかよ、誰が買うんだよ、と友達と笑っていた(僕はエヌハリの服が今はとても好きです)。ダサい服来たガキがたけーとか言って笑っていたんだからとても、微笑ましい。

 

このエヌハリ本店の中の階段を上ると「若者文化屋Youth Records」という看板があり、狭い8畳くらいの店内にはまたお香の強烈な香り、所狭しと並べれたレコード達、そして頭もじゃもじゃの店主(庄司さん)、お目当てのマーシーTシャツ。溢れるほどにレコードがあったのだ。すべてが個人セレクトだ。ひとつひとつのレコードに庄司氏のコメントが書かれていた。

 

僕は、マーシーTシャツすら買えなかった。Tシャツ自体が5,000円というのもあったけど、何だかすべてに圧倒されてしまったのだ。一番近くに寄り添っていたマーシーが遠かった。強烈なお洒落があって、ここは自分にはまだ遠い場所だと思ってなんだか萎えてしまったのだ。音楽の豊穣さたるや、未知の世界が強烈だった。

しかし、ただ萎えただけではなくそこには憧れも強くあった。今日は買えなかったし、ここは遠い場所に感じたけど、まだ僕は15歳で、このまま音楽を好きで居続ければ当然知識量も増えて行き、いつかきっと僕もこういう城を築くことが出来るのではないか、と。

 

今日は中学までYouth Recordsとの出会いまでにします。

いざ書いてみるとまとまらないし、ブルーハーツとハイロウズの良さをさらっと伝えたかったんだけど、分かってくれるかな。

 

つづく。