憧れの場所は遠いまま

キャンプと山と人事とインド

こつこつと

こつこつと生きる。

アイラ島のシングルモルトに憧れたのは大学生の頃だ。

その頃、僕は中央線沿いに住んでいて、魚と焼き鳥の美味しい居酒屋でアルバイトをしていた。魚と焼き鳥が美味しければ居酒屋としては文句のつけようがない。

美味しい魚と鶏肉を手に入れられるのであれば当然美味しい野菜も手に入れられる。そうして、その居酒屋は常に、と言うほどでもないが知る人は知る店として繁盛していた。

僕は常連に前髪を切れと言われたり、姿勢の悪さを指摘されながらも、心地よく適度な距離感で過ごしていた。

ある常連は僕にコトラーを読め、と常々言ってきた。フィリップコトラー?僕はマーケティングのゼミにいたがコトラーがなんとなく嫌いだった。

コトラーは人間の最も単純で空っぽな部分の真ん中にあるような気がしていた。マーケティングの面白さはその空っぽに肉付けした外側の部分だと思っていた。最初から間違っていたおかげで、不思議な正解があるということのリアルさが好きだった。

村上春樹の小説に出てきそうな、タフでシステマチックでどこか哀愁を抱えた男性だった。いつも一回りくらい若い無口な女を連れていた。

そう、そこは村上春樹的な時代だったのだ。

 

アルバイト代は現金支給だった。毎月最初の出勤日に前月の給料が現金で手渡される。僕は給料日にはそれを握りしめ、深夜一時過ぎに店の掃除を終え、夜の街に繰り出した。

その街には時間の止まった通りがあった。通りの店は割と入れ替わりが激しいのだけど、それは通りの空気に何1つ影響を与えていないようだった。

 

通りにはバーがいくつかあり、僕はそのうちの1つに入った。背伸びが必要だった。最初はどんな言い訳をしてバーで酒を飲もうか、と思った。

 

店主は場違いなやつが来たという目で僕を見た。僕は正直にウイスキーへの憧憬を語った。店主は柔和な笑みを浮かべ僕にシングルモルトやコーンウィスキーやバーボンを教えてくれた。

 

ラフロイグをソーダ割で飲んだ。8杯くらい飲んでタバコを十本くらい吸った。

キャメルナッティメンソールというタバコ。

愛してやまないタバコだった。

午前四時にふらふらしながら帰宅して女に電話をした。その子が今どこで何しているかと考えると不思議な気持ちになる。そんな人が本当にいたのか信じられない。

 

日々は過ぎて行く。感情は記憶で、記憶は嘘だ。好きだった、という言葉はそれを証明できない限りにおいて真にはなり得ない。真でないものは嘘である。そういう極端さで失ったものの数を数えてみても3つ以上は思い出せない。

 

後悔するには時間が経ち過ぎているけど折り合いがついていないものが人にはある。

 

エリクソンという心理学者を愛していた。青年期に自我を確立できないことの恐怖は呪いのように僕を締め付ける。抑圧されたものは回帰する。反動形成の結果がいまとここだ。

 

目の奥を抑えて、呟く。

家族が狂ってるんすよ、日本帰ってもいいすか?

 

男は答える。

うちも大変なんだよ、親父が死にそうでさ。

 

僕は黙ってしまう。

親父がいないより、親父が死ぬことの方が大変だよということをよく分かっている。というのは傲慢だ。

僕の沈黙は傲慢さの顕れで、家に帰ってiPhoneで何を聞こうかなと考える。

 

ブルーハーツが10年前より優しい。

がんばれー、だって。ありがとう。

 

生活の柄

 

早いもので、3月ももう25日になっている。25日が土曜日ということは金曜日に給料が入っている。先月の給料が入ってからもう一ヶ月か。給料はずっと手付かずだ。

 

ムガルガーデンという大統領官邸の庭園が期間限定で公開されていたので、並んで見に行った。色とりどりの花が綺麗だった。日本だともっときれいに剪定したり、水の流れを暗渠化するな、と思ってしまったりするのだけれど、そういう感覚がうっとうしかった。入場までに一時間くらいならんで、中に入ってもずっと行列になっていた。みんなそんなに花を見ずただ並んでいるのを楽しんでいるようで、それを見ているのは愉快だった。

 

春が来て、とても温かくなった。家には暖房が無いため、オイルヒーターで凌いでいたけど3月からはもういらなくなった。

 

二週目にはホーリーという春の訪れを祝う祭りがあって、2連休だった。僕は意気込んでデリーから深夜バスに乗り、リシケシュという街に行くはずだったのだが、バスを手配した代理店の不手際でバスに乗れなかった。夜11時にデリーの街中でぽつんと煙草を吸っているのは寂しかった。ぷらぷらしながらちょっと恐怖心を弄んで、その後Uberに乗った。こういう面白体験は別に望んでいなくて、ここの水準で構わないので地に足をつけた生活を送りたいのだ。

リシケシュはビートルズがホワイトアルバム作成時に滞在していた場所として名高い。バスの座席で”Dear Prudence”を聴いてわくわくしていたから、思い出すだけまだで少し悲しい。

 

飛行機で行くことも考えたけど、何だか疲れてしまって、家にいることにした。

代わりに自宅で村上春樹の騎士団長殺しを読んだ。天気が良かったのでリビングのカーテンを解き放ち、ソファにずっと横になっていた。ロンググッバイであり、グレートギャツビーであり、羊をめぐる冒険であった。

 

並行する世界と循環構造に含まれる子ども。ここまで読者側に降りてくるというのは晩年村上春樹の決意みたいなものを感じた。リリース時期だけではなく、作品の底を流れる川も小沢健二と共鳴していた。

 

なんとなくカルテットというドラマが面白いというのを友達から聴いていたので、観てみる。8話と9話しか観ていないけど、これも小沢健二と共鳴している。

 

見田宗介の「社会学入門」という本をちょうど読んでいて、そこで「交響するコミューン」という共同体概念が語られていた。このカルテットの四人は、比喩ではなく交響するコミューンだな、とそのリンクに深く首肯した。

 

当たり前は当たり前じゃない、白黒つけられない、今起きていることがすべてじゃない、ありえたものがまだある、ものごとはすべて相対的である。

言葉としては新鮮味のないこういったことが、改めて語られている。強い説得力と身体性を得て。流動する世界をサバイブするための優しさが2017年の表現のトレンドのように思える。

 

朝ごはんを食べない生活を10年以上送ってきた。たまにホテルに泊まるときや休日の遅い朝には、美味しい朝食を食べるのが好きだったが、平日に朝食を食べてこなかった。

3月になって朝ごはんを食べるようになった。

フライパンでバターを溶かし、卵を二つ溶いて、投入する。少し崩した後に底を焼いて、チーズを投入する。チーズが少し溶けたところでフライパンをゆすりながら卵をまるめていく。チーズオムレツ。

チーズオムレツと珈琲を15日くらい連続で朝食にしている。不思議と飽きない。飽きるほどのポーションがないからかもしれない。また、オムレツは毎日出来が違う。卵を入れるときのフライパンの温度や、バターの量や、焼き時間や、そういう繰り返しの中にある一回性みたいなものが愛おしい。

普通名詞のふりしているオムレツ(たち)。

目に触れ、舌に振れ、栄養となり、身体の一部となることではじめて個別性を得ていく感じが素敵だ。僕は毎日オムレツを食べている。

WBCと四年の月日

2013年のWBCはまだギリギリ大学生でその頃の私はひょんなことから浜松にいた。

2013年のWBCはその浜松の狭いワンルーム観ていた。今はデリーのアパートメントで観てるんだから不思議なものだ。

四年のサイクルの中であっちに来たりこっちに来たり、2021年はどこにいるんだろう。

そもそもWBCはあるのか、あったとして日本は出るのか。

理想としては東京五輪は東京で過ごしてその後に中東またはインドにいたい。4年がこの街をどれだけ変えるのかとても興味深い。

 

僕は半径3メートルの世界と宇宙をつなぐ法則みたいなものがあるんじゃないかな、と最近考えていて、それは『強い力によって動かされ、やがて元の位置に戻る入れ子構造』なのではないかという仮説(というほどのものでもないのだけれど)を立てている。月の公転と地球の公転と太陽系の公転だ。位置は常に相対的なものなのだ。

その見立てに従うと理解できることがいくつかある。

と言っても目の前にある問題というのはどこまでも生々しくて、曖昧で、流動的なのでそこに法則があるなんてなかなか実感出来ない。

 

けどさ、たまにそんなルールを感じることがあるんだよ。

 

例えば社会を微分していくと歴史の中に横たわる連綿たる人の気持ちがある、というイメージ。そのイメージは多分社会学をほんの少し勉強してたときからずっとある。近代を作り出した人の気持ちがどこかで未だに磔になっている絵がありありと浮かんでくるときがある。そして、そこには目の前のあなたの気持ちも含まれていると思うと、感動する。

 

ジグムントバウマンが今年一月に亡くなった。今、彼の本を読んでいるけど、社会学という想像力と物語の力に学生の頃の知識欲とは違う場所が打たれるのを感じる。

 

いつか僕がスペインのグラナダの丘で見た景色、僕が含まれない世界を知って感動したとき、ああいう感覚をちゃんと言葉で説明したいと思うのだ。

 

インドでサラリーマンやってるだけで、やたらスピリチュアルになってるけど大丈夫??とか言われる。いや自分だとわからないんだよね。

 

遠くから見ると大きいし、はっきりしているんだよ。

 

でも、大人と子どもの境界線が思った以上にはっきりしないのと同じで、東洋と西洋の違いも曖昧で、僕らの当たり前とスピリチュアル的な世界もなんだか曖昧なんだ。

魔術があった(信じられた)時代と魔術がない(と科学の名の下信じている)近代が同じ地平で繋がってるってことを考えると普通にすごくないですか?

当たり前を当たり前にしないというのは仕事でも大事なことだ。

  

自分の気持ちだってちゃんと世界に影響を与えていると思わにゃやってられんよね。

なんだこりゃ。

太宰の一日の苦労という短いエッセイが死ぬほど好きだ。

太宰を読み、ジムコリンズを読み、村上春樹をバウマンを読み、アマルティアセンを読んでも大したことはできない。祖父や母のように研究者になれるくらい頭が良ければな、と思う。

社会に出て無力さを知り、可能性の死骸を踏みつけながら、ニヒリズム陥ることなく、帯に短い己を諦めず、生活を愛する。

 

 

 

好きの総量について

象徴的な夢を見て、真夜中に目が覚め、眠れなくなってずっとそのことについて考えてたりすることがある。

 

二日連続で、なんだか色恋沙汰な夢を見た。多分インドで寂しいんだろう。

 

〈一昨日〉

一月に一緒にスリランカに行った人と、インドの街中を歩いていた。

馴染みの店のドアマンが笑いかけてくるのでドヤ顔をする。

彼女はしきりにシャワー直った?と尋ねてくる。

確かにシャワーは今壊れていて、ちろちろとしか水が出ない。

「直らないですね」

僕は答える。

「なんでか知ってる?」

「いや」

「君が隠してる悪いものが、水道管に詰まってるからだよ。シャワーが出ないからもう君は清潔にもならないね」

なんだか隠し事があるような気がしてきて怖くなる。

 

目が覚めてしばし夢を敷延させて考えるのは、人間一旦悪いものが溜まると、それを洗い流す機能までも弱ってくるってくるってこと。自浄作用の分岐点みたいなものがあって、ある点を超えると自浄作用が落ちて、その後汚いことをしなくても、汚れは落ちなくなるのかも、と思い怖くなる。後ろめたいことがあるからこんな夢を見るのか。

 

〈昨日〉

結婚の挨拶みたいな場にいる。

相手は知ってる女の子で、現実で最後に会ったのは1ヶ月くらい前だ。

その子の父親が話しかけてくる。僕は初対面で名刺かなんか渡さないとと思うけど、あーオフィスに忘れてると思いテンパる。

曰く、

「人を好きになるときは、本当は綺麗な好きだけを見ないといけないよ」

と言う。実際の会話は忘れたけど、こんなことを言われた。

「好きの総量は、キレイな好きとキタナい好きの合算だよ。キレイな好きは共感とか慈しみとか優しさで成り立っていて、キタナい好きは自分のコンプレックスとか憎しみとか所有欲で成り立っている。大事なのは好きの総量じゃなくて、キレイな好きの量なんだよ。そこを見誤って、キタナい好きばかりで好きが出来上がってる人と一緒になっちゃならない」、と言う。

 

目が覚めて、その人への気持ちが理解できたような気がした。

 

インドで村上春樹の新刊を手に入れて読み始めた。

 

そんな日々。

 

 

企業における女性活躍推進について(前までの話とは関係ないけど)

<ここ二年くらいの話>

女性活躍推進が多くの企業で掲げられている。

多くの企業では、具体的な数値目標を伴った形で「活躍」を定義づけ、それを達成するための施策を実行している。

 

例えば、CSR活動のダイバーシティ項目に女性管理職比率の目標値を掲げ、女性に少し下駄を履かせて昇格させる会社もあるという。また、女性だけで部門横断型のチームをつくり、タウンミーティングや女性社員を対象とした研修の実施を行っている会社もあるという。

 

女性活躍、という言葉自体にしり込みしてしまい、そんなの逆差別じゃないかと男性社員が言える空気もなく、男女間の溝を一層感じているようなケースが想像できる。

迂闊なことを言えば、パワハラ、モラハラ、セクハラかつ差別主義者のレッテルを貼られかねず、男性としてはアンタッチャブルな領域になりやすいのがこの取り組みなのだ。女性の自発性を促すということ自体が女性活躍推進だもんなという怪しいロジックで、ごまかしている人事マンもいるのではないか。

 

僕は企業における女性活躍推進の取り組みには賛成している。

しかし、それは女性主体で担うべきではなく、男女が協力して担うべきだと考えている。

そんなの当たり前だよ、という感じかもしれないけれど、こういう当たり前のことをちゃんと言葉にしておきたい。

 

 

 

<何のため(1)?>

 

女性活用推進法(正式には女性の職業生活における活躍の推進に関する法律)の概要にはこう書かれている。

「自らの意思によって職業生活を営み、又は営もうとする女性の個性と能力が十分に発揮されることが一層重要。このため、以下を基本原則として、女性の職業生活に おける活躍を推進し、豊かで活力ある社会の実現を図る」

>女性に対する採用、昇進等の機会の積極的な提供及びその活用と、性別による固定的役割分担等を反映した職場慣行が及ぼす影響への配慮が行われること

>職業生活と家庭生活との両立を図るために必要な環境の整備により、職業生活と家庭生活との円滑かつ継続的な両立を可能にすること

>女性の職業生活と家庭生活との両立に関し、本人の意思が尊重されるべきこと

 

この概要には問題提起も現状分析もない。かろうじで文脈から読み取れる問題提起は「現状では女性の個性と能力が十分に発揮されていない」「性別による固定的役割分担を反映した職場慣行が及ぼす影響への配慮が不足(上手な書き方をしているな笑)」「家庭生活と職業生活の両立が困難」らしいということだ。

では、何が女性の個性と能力が発揮されることを阻んでいるのだろう。それを解決し、この法律が目指す方向に合致した会社になるための基本的姿勢について考えたい。

また、この話は家族共同体や少子化、教育、都市論までを包含する大きな問題になりうるがここでは、付随する問題については最小限の記述に留めることにする。

 

女性の活躍が必須というのは残念ながらまだ文脈自由な認識ではない。然るべき理解を前提としてこそ取り組みの方法と効果が向上すると考える。

 

 

<簡単な過去の振り返り>

 

 性役割(Gender role)という言葉がある。社会的に期待される性別の役割のことである。女性活躍推進活動はまるで、このGender roleを撤廃するかのような強いフェミニズムを感じることすらあるが、あくまでGender roleの見直しであると考えている。

 

日本では戦後核家族化が加速し、男性が労働の担い手となり、女性は家事・育児の担い手となった。これがGender roleだ。

子どもも第一次産業のときのように労働力ではなく、教育され投資される存在として捉えられ、女性は教育の機能も担った。また、ご近所づきあいにより、地域共同体の紐帯を維持したのも女性であった。男性が経済機能を担い、それを原資に女性が家族機能の維持、再生産を行うことで社会が機能していたのだ。高度経済成長の中で、男性の収入が増えていき、生活が豊かになり、子どもへの教育水準もあがり、次世代はより高度な職業、高い収入を得るという幸福な物語が過去にはあったらしい。

勿論、働いている男が偉いという男尊女卑的な風習が当時あったことは否定できない。また、この役割分業自体が、性役割を再生産するため、女性が活躍する土壌が育ちづらかったのは事実である。そのことを不幸だと言うのであれば、そういう考えがあることは理解する。

しかし、この性役割は当時の社会における必要な分業機能であったのだ。女性は労働から解放された時期でもあった。決して、女性の活躍の機会を制限し、抑圧していたわけではないということをここで言いたい。

 

80年代以降、女性が働く環境が整ってきたこともあり、男女雇用機会均等法などの法整備が進んだが、雇用後の「キャリア機会」については保障するものではなかった。女性のGender roleから「家事・育児」が消える事はなく、この役割を担いながらの範囲で労働していた。寿退職というように、結婚したら退職するという風習があったらしい。逆に言えば、高度経済成長期に男性が築いた「労働の場(慣習)」にまで女性が踏み込んでくることは無かった。

 

 

<何のため(2)?>

 

ジェンダーによる分業は社会を機能させるためのものであり、男尊女卑に基づくものではなかった。それが現在になって、女性活躍推進が声高に叫ばれることになったのは何故か。

これはシンプルに二つの理由である。社会にとって労働力が不足しており、共働きではないと家族共同体を維持出来ないからである。

労働力としてもはや男性だけで維持出来る社会ではなく、女性の力が必要だけれど、現状は女性にとって働きづらい部分が多々あるため、より働きやすい環境整備が必要だ、というのがそもそもの問題意識である。

ここで間違ってはならないのは、女性活躍推進とは決して抑圧されていた女性の解放運動ではないのだ(完全にそうではないと言い切れない部分はあるけれど)。平塚らいてうの仕事とは違う。女性の自己実現支援でもない。ましてや、資本主義精神に則り、多様性と利益率に相関があるとか言って女性をやたら昇進させることではない(そもそも多様性の根拠に性差を認めていいのか、という議論もある)。

ここで言いたいのは、女性活躍推進というのは女性のためにある施策ではないのだ。女性活躍推進とは社会問題の解決手法として政府が選択したものである。まず、その認識を共有し、それを担うのは社会構成員である男性、女性関わらぬ市民の仕事であることを理解しなくてはならない。ましてや企業に対して要請されているのであれば、男性社員、女性社員が手を取り合って考えなければならない。

女性に自分たちが担わなければと思わせること自体が誤謬であり、男性が女性をとりあえず優遇しておこう、という認識が誤謬である。この認識がある限り、女性活躍推進を掲げる人事施策はシラけ続けるものになる。

 

<男性が担ってきた「労働の場」>

 

上述の通り、戦後の労働の場は男性が担ってきた。これは元々あった「労働の場」に選択的に男性が参入したのではなく、労働力としての男性が経済成長に伴い調整を行いながら「労働の場」を作り上げてきたことを意味する。基本的に日本の職場は男性による男性のための男性ガラパゴスな場所であった。そしてそれは職場外部のビジネス慣習に及ぶ。80年代の女性の雇用拡大ではそれを変えるに至らなかった。

長期休暇を取らないフル稼働可能な人材を前提に、現在の日本の職場は成り立っている。女性はライフイベントとして長期休業が必要となることがある。そこで結局女性は使いづらいとかいう、性差に基づく差別発言をする人が出てくる。それは女性側の問題な訳はなく、女性を受け入れられない現在の労働環境が限界にぶちあたっていることの証明なのだ。かなり偏った価値観に基づき生成され、再生産され続けてきた男性中心の労働環境を再帰的に問い直す必要がある。

とは言っても、それが社内だけの話ならまだ対応しうることなのだがこれは日本の暗黙知なビジネス慣習に浸透しきっている(怪しい接待など)。外部を変えるのは一企業に出来ることではない。

 

<何をすべきだろうか(思いつきの羅列)>

 女性が活躍するためには、現在の労働環境が男性中心であるが故、その土台の上では下記の配慮が必要だ。

・勤務時間

・キャリアの中断

・異動不可能性

・職種の限定

 

(勤務時間)

フレックス、時短もあるけれど女性しか使わないということはシラけを生む。だから思い切ってオフィスを捨てる未来を考えたい。そもそも自宅から一時間以上かけて東京で仕事をする必要はない。男女関わらず、真に効率的なワークスタイルを追求するのであれば職種によっては自宅勤務・テレワークがいくらでも可能だろう。2017年の情報化社会において、自宅勤務・テレワークを十分な生産性を持つはずで、それはキャリアを制限したりしないはずだ。労務管理の困難さは人事が対処すべきことで、努力次第でどうにかなる。

(キャリアの中断)

 Jobベースの会社であれば、そのポストから人がいなくなれば新しい人を置く。育休を取れば、帰ってくるときにはポストがない。じゃあ男性がとると言っても、男性に同じことが起きる。ここは難しい。そもそもGender roleを見直し、育児の負担は男性が負うことも出来るが子どもは生めないので、女性の負担(負担と言いたくないが、勤務するに当たってのという文脈です)は大きい。結論はないけど、なんかユニークな人材配置制度とか、兼務、暫定ポストの設置とかで上手くカバーできないかな。

(異動不可能性)

 これは勤務時間と同じで、だんだん場所に関わらず仕事が出来るようになるだろう。また異動できる人材を複数確保することはマネジメントの仕事だし、会社としては比較的等質に見える複数キャリアを社員に提示することが大事だ。全国コース・地域コースというような処遇に差がつくわけ方ではない。0か1でないキャリアの選択だ。出世コースは一つじゃないよ、という風に。そもそも男女関わらず人にはそれぞれ事情がある。

(職種)

それでは職種が限定されてしまうではないか、という指摘が営業職である。うん、ここはとても難しいです。お客さん次第なところもある。

 

<最後に>

なんだかばたばたと書いてきましたが、今日言いたかったのは女性活躍推進の認識を企業にいる社員で共有しましょうね、ということでした。

また、「よく働く」という言葉の意味は男女間ではなく、個人の価値観に依存します。既存の労働環境に合わせた活躍を求めるのは男女関わらず限界があります。この女性活躍推進が問題提起となり、多様なワークスタイルの実現に繋がる一石になるといいなと思っています。男性社会の競争に巻き込むのが機会の公平ってわけでもないだろう、ってな具合です。

 

でわ。

さいきんのできごとはもっぱら小沢健二

 

 最近っていつまでのことを言うんだろう。最近会ってないな、最近寒いですね、最近の調子はどうですか?最近はてんでだめなんです、なんて言葉を繰り返すわけだ。僕にとっては最近だけど、誰かにとっては遠い昔だったりするように、時間ていうのはゆがむ。個人の感覚に依存する限り、客観的な時間はなく、いつも色んなところで時間は伸びたり、縮んだりしてるのだろう。

最近:現在にいちばん近い過去【大辞林】

 僕はインドからアマゾンで、ある友人の家に最近新曲を出した小沢健二のCDを送りつけた。ちゃんと2月22日に届いたらしい。

何送りつけてんの?と連絡があり、近況を報告しあう。

こちらは相変わらずですよ、まるで時間が止まっているようです。と彼は言った。彼にとっては最後に僕に会ったのも最近なのだろうか。僕は最近のような気もするし、遠い昔のような気もする。時間も言葉も曖昧だから仕方ないのだけれど、断定できることが少なすぎる気がする、最近。

でもさ、時間が止まっているということはないだろう。進んでいないかも知れないけど、とりあえず時間は動いているよ。そもそも時計というものが循環を体現した機器であるように、時間は繰り返すものだと思う。人間だってエネルギーと血液の循環による代謝を繰り返しているし、この世の中はたいがい繰り返しベースで出来てるのだ。つまりさ、生まれてから死ぬということだけがリニア的に見えるのものなのだ。でも、多分それは勘違いというか知識不足であって、この一見リニア的な生から死という動きも大きなサイクルの一環なのだろう。循環はあるのだ。個人で言えば、来世のことかも知れないし種で言えば遺伝子のことかも知れないし、あるいは本当に永劫回帰があるのかもしれない。一回性しかないと考えられているものをより大きな循環の中にある一部と仮定すると面白い。

Life is Comin’ backというのを生の真理として小沢健二が見出したのも納得するし、まさに体現したわけだ。

 

別な友達がテレビで録画したMステを動画に撮って送ってくれる。CDみたいに綺麗な音じゃないけど、それでいい。満足だ。

 歌詞を見て気づく事は、日本語の使い方が変わったという単純な事実で、詩的だったり文学的だったりする表現は消えた分、詩的とか文学的と直接の言葉になっている。僕はカウボーイ疾走の「歩道まで散らばって戻らない砂」という歌詞が好きなんだけど、そこから膨らむ想像力を彼は今僕らに望んでいないのだと思う。この曲自体がものごとを読み解くことへの自己言及的な歌になっているので、書けば書くほど不思議なループに陥る。

これについては、別に書いているので、明後日くらいにあげます。読んでくれたら嬉しい。

流動体について 小沢健二新曲リリース

 小沢健二が新曲をリリースした。シングルとしては「ある光」以来19年ぶりだという。

「毎日の環境学」がリリースされたときはリアルタイムで高校生だったけれど、ピンと来なかった。いや、ピンと来るわけがない。フリッパーズギターの3枚から犬、Lifeと渡ってきた高校生の期待するものとは明らかに違うものだもの(そいえば、当時はデトロイトメタルシティーという漫画が流行っていた)。

また「我ら、時」は変則的な内容、流通だったので、スタジオ録音の純粋な新曲を流通させるのは恐らく「毎日の環境学」以来なのではと思う。

 

<音楽を買うことについての個人的な話>

本当なら仕事が終わったらタワレコにでも行って「流動体について」を購入したいところところなのだが、僕は今インドにいるのでおあずけ状態だ。次に日本に帰るのは4月だか6月なんで、それまでは我慢することになる。多分その頃にはアルバムが出ているんじゃないかなど思う。

 

仕事が終わってもやってるタワレコは秋葉原にあって、僕は真っ直ぐ銀座線で神田まで行く。神田の江戸っ子寿司の寿司を食べて、美味しいと思う。その後JRに乗って、秋葉原のヨドバシに向かう。秋葉原のヨドバシは人でまだごった返していて、新しいスマートフォンや便利家電に少し目を奪われそうになるが、エスカレーターを駆け上がる。タワレコには販促用のポップがでかでかとあって、Lifeなどが一緒に並べられている。紙ジャケットのCDはつるつるしたビニールで包装されている。一枚、手に取りレジに並ぶ。ポイントの仕組みが複雑になっている。既にタワレコのポイントカードはない(推測です。昔黄色いカードすごい貯めてた)。黄色い袋をカバンに突っ込み、バス亭に向かう。

秋葉原からバスで自分が住んでた街まで帰る途中で歌詞カードを見たりすると昨年ライブで見た風景、心象がありありと浮かんでくる。家に帰って、手を洗い、着替えたところで、CDをセットする。ステレオから音が聴こえる。

 

 以上の想像は東京にいた場合のタラレバで、僕がそれこそ林檎ジュースを飲むがごとく、あびるように音楽を漁っていてたころ、音楽を聴くという営みはこのプロセス全てのことだった。

 音楽からの刺激に耐性がついた年になり、Apple musicで世界中の音楽がいつでも聴ける2017年。僕としては、Apple musicなしで暮らす事はもはや想像出来ないが、音楽を聴く経験の質は過去と変容している。それは勿論、自分自身の変化が大きくアナログ云々が言いたいわけではない。

ただ、音楽と人の関係は、イヤフォントと鼓膜と脳で成り立つわけではないということを自覚しないと、と思うのだ。CDを買う経験、予めレビューを読む経験、あるいはあえてからっぽにしておくなど、受け入れる器としての個人が音楽のためにスペースを準備してはじめて、音楽は複合的かつ相互的な個人の経験として内面化していくものだ、多義的に。そういう意味では、胸をときめかせCDを買いにいける(という想像ができる)小沢健二の新譜リリースは幸福だ。

すぐに買えない、ってところも(これは完全に自分側の理由だけど)オザケンらしくていい。配信はあるのかな。CDを買って聴きたいな。

 

<流動体について、について>

 昨年の5月、まだ日本にいた頃オザケンのライブに行った。何だか赴任の準備とかもあって、有給取れそうな雰囲気だったので、その日は朝から休んで予防接種を受けに行った。予防接種を受けた後、虎ノ門ヒルズでコーヒーを飲んで、汐留まで散歩して、ゆりかもめに乗った。小沢健二のライブを見るのは2回目で最初は「ひふみよ」ツアーのNHKホール公演だった。その頃僕はまだ大学生で、停電の夜に音楽が聴こえる、というような朗読が良かった。ライブのあと惚けてしまって、NHKホールから代々木公園をぷらぷらと散歩していたのを覚えている。

 

 昨年5月のライブ、魔法的については多くの方々がいろいろな場所で書かれている通り本当に素晴らしいライブだった。小沢健二はこのツアーの開催前に「昔の曲もやるけど、帰ったときに残っているのは新しい曲だと思う」というような発言をしていた。勿論そうだといいな、とは思ったが実際僕らはこれまでの曲が好きだから彼をもう一度見たいと思うのであって、未知の曲よりも好きな曲が聴きたいし、新曲には期待していなかった。

 

 ところが、実際にはこのライブで出会った7つの新曲はどれも驚くほど素晴らしかったのだ。というか感動してほとんど動けないくらいだった。あのどんな良い曲でも初見で好きになることってなかなか難しいと思うので、これはかなり工夫しつくされていたと思うよ。

 

 あのライブ中、目の前で言葉が生まれ変わっていくのを感じた。言葉とは人類のアーカイブであり、コミュニケーションツールであり、世界認識の手段である。

しかし、それ以前に言葉は有機体であるということを強く認識させられた。

彼の手にかかると、僕らが知っている当たり前の単語が全く別な意味を帯びてくる。それは彼が紡ぐという文脈にも勿論依存しているのだろう。彼の文学的才能と彼が2016年に紡ぐという複合的な文脈のもとで、言葉が細胞レベルで再構築されなおし、生まれ変わっていくのを感じた。それは即ち言葉の受け手である、わたしたちの世界の認識を変容させることであり、魔法だった。小沢健二の言葉を浴びながら浮かぶ心象風景や、想像力はこれまでの自分の外にあったものだったけど、やたら真実味があったのだ。あれは楽しい時間などではおさまらない、思考を強いる強烈な時間だった。

 彼の試みは言葉を有機的なものとして再構築することで、あまりにも情報が多く複雑な世界の中で彼がコアと思えるところに人々をフォーカスさせていくことだと思った。

 だからこそ彼の「日常に帰ろう」という言葉には違和感があった。これについてはいくつか思うことがあるんだけど省く。

 

 僕が特に好きだったのは「流動体について」という曲で、歌詞もメロディも今はうまく思い出せないけど、強烈に好きなフレーズがあったことと、「俺の生活ってのはつまるところこういうことで、それ以外はないよな」って思ったことを覚えている。

 帰るときに残っている曲は、確かに新曲だったので、びっくりしてしまった。

流動体について、が多くの人に届くように。

 

というか単純に、音源化してくれれば自分の好きな人とドライブしてるときに聴いたり出来るからさ、何だか羽田へのドライブとかで聴きたいような曲なんだよ。

魔法は続く。

 

追伸:僕らが旅に出る理由をMステで披露するらしいって、これも結構すごいよね。